今回ご紹介するお話は「日下兄妹」。
市川春子さんの短編作品集『虫と歌』に収録されているお話です。
細い線、独特の言い回し、言葉遣い、そしてそこはかとなく漂う「エロチシズム」。
「宝石の国」を読んでいて、『虫と歌』が未読という方はぜひ。
個人的には「薬師寺東棟」が好きな方にもおすすめかと思います。
市川春子さんの作品もまた、【凍れる音楽】という雰囲気ですから。
「日下兄妹」
今日ご紹介している「日下兄妹」の初出は「アフタヌーン」2009年12月号です。
この作品が収録されているのは『虫と歌』という短編集。
私が市川春子さんの作品に出会ったのはこの作品集が初めてでした。
私にとっては、こちらの短編集がより「市川さん」な感じがしています。
この『虫と歌』には「日下兄妹」以外に、次の作品も収録されています。
・星の恋人
・ヴァイオライト
・虫と歌
表題になっている「虫と歌」はもちろん秀逸ですが、「星の恋人」はひんやりと泣けますし、「ヴァイオライト」では「宝石の国」の一端を感じられる気がします。
市川春子さんについては、Wikipediaでどうぞ。
「世界の95%はわかっていないんだと」
「日下兄妹」の主人公は【日下雪輝(くさか ゆきてる)】、通称「ユキ」。彼は高校2年生で野球部のエースです。
エースでルックスも良い、ということで野球部の未来を担っている彼ですが、そんな彼が肩を壊してしまうところから物語は始まります。
肩の手術を受けることを拒否して野球部に退部届を出したユキ。
手術さえすれば「日常生活」に困ることはなくなる彼の肩ですが、元のように投げられるかは不明と言われてしまいます。
自分の本意ではなかったとはいえ、自分の居場所となっていた「野球」を失ったユキは、肩を壊したことでもう一度「本当の自分は何を望んでいたのか」を探します。
ここで彼の「本当」を探すサポートをすることになるのが、妹の「ヒナ」です。
ただ「ヒナ」はただの妹ではありません。むしろ、人ですらありません。
野球部を退部し、家で漫然とした時間を過ごすユキのもとには、チームメイトが次々にやってきます。
人ならざるヒナと過ごすユキにも、そしてヒナにも、特段驚いた様子なく接するチームメイト達。
チームメイトとユキのコミカルなやり取り、その中で差し挟まれる「ちょっとした本音」。
このバランスは本当に絶妙で、とっても美味しい「かき氷」を食べているような気になります。
ヒナとの日々の中で、ユキが思い出し、見つけた「これからの日々」。そして「失ってしまうもの」。
読了後は静かな部屋の中で周りを見渡し、あなたもつい「ヒナ」を探したくなるはず。
わかっていない「世界の95%」の中に、自分だけの答えを求めて。
理解できた気になるのは、まだ早い
市川春子さんのお話は初見で全て理解できるものが少ない、というのが私の率直な感想です。
でも、読めば読むほど、散りばめられた言葉に、コマ割りに、行間に、物語のまとう空気に、「自分だけの答え」を見つけられるような気がしています。
今回ご紹介した「日下兄妹」は、市川さんのお話の中でも物語として理解しやすい方ではないかと思っています。
しかし、お話の筋を理解しやすいからこそ、実はお話の奥に隠された「真意」にたどり着くのは大変。
「日下兄妹」の奥にある真意。私はそれにまだ辿り着けていない気がしています。
いつか人で一番遠い所に行きたい お前には懐かしい場所かもな ヒナ
『虫と歌』P155
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