[小説×音楽]ぬるめ。初恋。36.8℃

音楽×小説

報告

「ケッコンシマシタ」

久々に帰省した実家で見つけてしまった
写真付きの、はがき。

いやまぁ、わかってますよ。
お年頃ですもの。
こういうの、ありますよね。

「笑顔満開かよ」

悔しいような苦いような
なのに、あの日と変わんないなーというその目じりを見てたらさ、
なんかこっちまで、もらい笑い。

駅で買った缶コーヒーをテーブルに置くと
洗濯カゴを抱えた母がキッチンを横切った。

「あー、洋ちゃん、3月に結婚したんだって」

今さら母が声を掛けてくる。
うん、はがき見たらわかるよ。
だって冷蔵庫に貼ってあるじゃん。

「悦子さん喜んでたわ」

「そう。悦子おばちゃん、元気?」

「元気だよ。今はこんなご時勢だから、
披露宴もしなかったらしいけど、
おかげで洋ちゃんたち、家具奮発したって」

母はカラカラと笑いながら、
洗濯カゴを抱えてベランダに向かった。

洋ちゃん

洋ちゃん。
幼馴染み。
同じリトルリーグで野球した。
中学まで一緒。高校は別。

なのに恋をした。16の春。

触れられなかった、何も。
初めての、恋。

いつも、目で追っていた気はする。
小学生の頃から。

洋ちゃんのランドセルは当時は珍しいこげ茶色で、
学校でも目立ってた。

よく笑う洋ちゃん。
でも、女子とはあまりうまくしゃべれない洋ちゃん。

自分が、4年でリトルリーグを辞めるって言った時、
珍しく怒ってたなあ。

「なんで辞めんだよ!
一緒に打率3割こえようって言ったじゃん!」

だって、わかってたんだもん。
洋ちゃんと自分は違うんだ。
自分には、洋ちゃんみたいな運動神経、ないんだ。

打率3割って、割合の意味、洋ちゃんあの時わかってなかったじゃん。

5年生で割合習っても、全然わかってなかったじゃん!

でも、洋ちゃん一人だったから。
あの時、野球辞めるなって言ってくれたの。

嬉しかったんだ。

アオハルの初め

中学。思春期。
洋ちゃんとは話さなくなったな。

いつだったか忘れたけど、洋ちゃんには
「お前は良い奴だよな」
って言われたよね。

教科書を忘れた洋ちゃんに声をかけられるたび
「いい人って、都合のいい人ってことね」
って言葉が頭をぐるぐる回ってたのを、洋ちゃんは知るまい。

この頃、洋ちゃんはどんどん背が伸びて、
目線はとっくに違うものになってて、
見てる世界は、もう揃うことなかったんだろうな。

まっすぐ「甲子園」って言っていた洋ちゃんと、
何となく「設計したい」っていう自分じゃ、
心のカロリーも違ったんだと思う。

15の春。
初めて洋ちゃんと別々の道を歩く日々が来た。

お互いの進路が別れた春。

「合格通知」の文字が、少しだけ、モノクロだった。

別々の日常

地元の進学校。それが自分の選んだ道。

野球の強豪校。それは洋ちゃんの選んだ道。

かすりあうはずもないこの二つの道は、
やっぱり、かすりあうはずもなくて、
毎日はただ過ぎていった。

洋ちゃんの頭はきっと、野球のことでいっぱいで、
自分の頭は、英単語と数式と、古文の活用法なんかでいっぱいだった。

あの日までは。

16の春だった。
春休み、だった。

今でも映画のワンシーンみたいに、
忘れられない名場面みたいに、覚えている。

春期講習の帰り道。

塾のテスト結果が思った以上に悪くて、
家に帰りたくなかった。

家に帰ればどうしても机に向かってしまう。

でもこの時は机に向かう気にどうしてもなれなくて、
いつも乗るバスを見送って、
家まで歩くことにしたあの日。

いつもはバスの中から見ていた公園に、
何となく寄ってみた。

たての糸とよこの糸

誰もいない、21時の公園。
自販機の灯りだけをたよりに浮かび上がる、
心もとない小さな公園。

4月初旬の夜の空気は
薄甘いけど優しくはなくて、
自販機であたたかいコーヒーを買った。
飲むつもりもないのに。

両手のひらで缶コーヒーを転がしながらぼんやりとする。

聞こえるのは車の音やバイクの音。

少しずつコーヒーの温度が冷めてきた頃、
公園の入口の方から、こちらに向かってくる
音を見つけた。

足音……?

「誰か走ってくる……?」

ちょっとビビりながら、
音のする方に視線を持っていった。

やっぱり、誰か走ってきているようだ。

でも、自販機の灯りだけじゃ、
どんな人かもわからない。

年配?若め?性別は?

ランナーが公園に入ってくるかはわからないけれど、
入ってくるなら何か気を遣うのもメンドクサイし、
ベンチから立とう、そう思った時。

風が吹いた。

春の匂いが、空気にあふれた。

風の向こうに
薄灯りに照らされた洋ちゃんが、いた。

気づいたのは自分が先。
でも、声を出したのは洋ちゃんが先。

「よう、久しぶり」

16の春、公園で

他愛もない話をした。

お互いの学校のこと。
勉強のこと。
部活のこと。

お互いの知らない窓から見える
見たことのない風景の話は
現実味がなくて。

校風も校則も、高校を出てからの進路も
まるで違うお互いの高校生活は
まるで別世界のようだった。

そして

その日から、
塾のある日は帰り道にその公園で洋ちゃんと会うようになった。

約束はしなかったけど、何となく。

お互い「元々知っている仲」だったからか、
久々過ぎる再会なのにあまりにも自然に話せて、
それが逆に、苦しかったんだ、自分には。

そして気づいた
それまでもその日からも
自分と洋ちゃんの間には
「飲み物1本分」の距離が
あることを。

再会したあの日に買ったのはあたたかいコーヒー。
会うたびに買っていた飲み物は

いつのまにか
あたたかくないコーヒーになって、
たまにいろはすになって、
Qooになって、コーラになった。

でも、洋ちゃんとの間の距離は、
変わらないままだった。

お互い、何も言わなかった。
自分たちの関係についてなんて。

週に1回、公園で会うだけ。

話すことは他愛もないことだけ。
他には何もなかった。

ただ自分の気持ちだけが、季節が熱を帯びるように、
ゆっくりと、でも確かに、上がっていっていた。

17の夏。期末テスト前

高校2年生。期末テスト前。

志望校への合格可能性が上がらないことに四苦八苦していたけれど、
それなりの学校生活を送っていた頃。

公園で会うだけだったルーティンが崩れた。

あの日
いつも通りの会話のあとが、
いつも通りじゃなかった。

「なあ、勉強教えてくんね?」

洋ちゃんが言った。

「え?ああ、うん」

アドリブに慣れていない自分は、
内容を理解するより早く曖昧な声で返事をしてしまった。

「まじで?ありがてー!!
今回の期末、古典で赤点とったら
レギュラー外されんだよ!」

洋ちゃんは本当にうれしそうに言った。

「洋ちゃんの学校って、スポーツの成績良くても
勉強頑張らなきゃいけないの?」

「いや、俺はスポーツ推薦で大学狙っているけど、
内申的にも赤点じゃやばいのよ」

「なるほど。じゃ、どうする?いつ勉強教える?」

「土曜の朝とか無理?午後からは部活だから」

「了解。じゃ、図書館はしゃべれないから……」

「あー、じゃあ北公園のテーブルは?
雨降ってもあそこなら屋根付きのとこも
あんじゃん」

「わかった。じゃ、土曜の9時に北公園で」

いつも通りじゃない会話で、
初めて洋ちゃんと約束した。

北公園

土曜日朝。
8:30。
北公園。
快晴。

雨だったら、少しだけ、
近い距離にいられたかもしれない。

でも、快晴。

この辺りが自分の「恋愛運」の限界なのかもしれない。

……恋愛運、だって。

8:50。洋ちゃん到着。
おいおい、まじか。
走ってきたのか。

でもさすがスポーツマン。時間は守るんだね。

洋ちゃんはうっすいカバンに
古典の教科書と問題集だけ入れてきた。

古典だよ?なんで辞書持ってこない!
……と思いつつ、
おもむろに自分の辞書を出す。

青空の下。
ちょっと大きめの公園の芝生エリアの端。
イスとテーブルのある場所で、勉強会は始まった。

昔見たんだ、ファミレスで。

恋人ってさ、ボックス席でも隣り合って座んの。
ボックス席、意味ねー。

でも、自分たちはもちろん、ボックス的な席で、向かい合わせ

これが、今の自分たちの関係。

意外にも「のみ込みの早い」洋ちゃんとの勉強会はさくさく進む。

「てかさ、助動詞の活用一覧はとりあえず覚えて。
洋ちゃんとこのテスト見てたら、
これ覚えればとりあえずはイケそうだから」

「あー覚えてねえわ、それ全然、重要性がわからんかった。
でも、覚えるわ」

「あと、呼応の副詞は中学の時にやらんかったっけ?
これも絶対覚えといて」

「あーうん、なんとなく記憶にある。わかった。ここな」

洋ちゃんが、自分の言った指示通りに教科書にラインを引く。
それが、すごく、うれしかった。
洋ちゃんとの時間を過ごした「跡」みたいで。

もっと、時間は長いと思っていた。

自覚した恋心は、好きな人との時間を緊張の時間に変えて、
もっと、長く感じると思っていた

スマホの時計、11:23。

「腹減ったな」

洋ちゃんがこぼす。
多分、言葉にしたって気づいてないでしょ。

「朝、何食べた?」

聞いてみた。

「あー……とんかつ?昨日の残り的な」

「朝からとんかつか……でもわかる。
なんかしっとりしちゃったコロモってうまい」

「だろ?揚げたてがうまいのは当たり前なんだけど、
1日置いても、とんかつはうまい」

洋ちゃんは笑った。
目じりにしわがよる。
洋ちゃんのしわは「シワ」じゃなくて「しわ」。
なんか柔らかい。

「俺、そろそろ行くわ。13時からなんだわ、部活。
一旦帰って飯食って、で」

「うん、今日はわかった?古典」

「おー!めっちゃわかった。
何を勉強すればいいかがすげーわかった。ありがと」

「いや、また、何かあったら、言って」

「おう。助かるわー」

「じゃ、部活がんばって」

「お前も、勉強、がんばって。で、また俺に教えて」

洋ちゃんが、笑った。
また、くしゃって。

ずるいよなあ。
何の保証も、何もないのに。
洋ちゃんの「また」が自分の未来を拘束する。

別れ際、洋ちゃんが自販機の前で立ち止まった。
いろはすの桃を買って、
振り向きざまにこちらに投げた。

「ちょ、いきなり投げんな、危ない!」

「ちゃんと取ってんじゃん、またキャッチボールでもしようぜ。
名ショート」

いろはすの、桃。となりに梨もあるのに。
洋ちゃんは桃を買って投げた。

「いつも、桃買ってたの、見てたのかよ」

こぼれた声は洋ちゃんにはきっと届いてない。

洋ちゃんの後ろ姿を見ながら、次の一歩の方向を、心が見失っていた。

窓際のいろはす

期末も終わって夏休み。

自分は受験に向けてギアを入れ直して、
もう、塾の終わりに歩くことをしなくなった。

洋ちゃんは高校2年の夏を、甲子園で過ごしていた。
テレビのローカルニュースからは一回戦突破!
という音が聞こえていた。

自分の母親は、洋ちゃんの両親や昔のリトルリーグの保護者仲間で
甲子園の応援に行ってしまった。

蝉の音と、エアコンのモーター音だけが、耳に残って、
テレビの音は夏の部屋の空気に流されてしまった。

机の上には、未開封のいろはすが、窓からの光を集めていた。

「海にでも、行きたい」

言ってみただけの言葉には熱がなく、
言った端から力なく、消えていく。

きっと、もっと熱を帯びた言葉を口にしていたら、
それは消えずにもっと高鳴るんだろうけど、
それだけは言えなかった。

テレビを消した。
でもまだ、いろはすを捨てることは

できなかった。

高校3年、冬

インフルエンザが大流行した冬だった。

自分はとにかく、体調だけは崩さないように、
それだけを祈って過ごした冬だった。

選んだ進路は、地元から遠く遠く離れた、都会の大学。

2次試験の自己採点では、ほぼ合格決定。
ホッとした気持ちで道を歩いていた。

ふっと、これで最後だ、と思った。

つま先は、あの日、恋の始まった公園に向かっていた。

2月と思えない暖かい昼下がり。

通りの家の庭の梅が咲いていた。
優しい香りが風に乗る。

1年半ぶりくらいに来た、小さな公園。

ドラマだ。こんなのは。

公園には、あの日以来会わなくなっていた、
会えなくなっていた、洋ちゃんがいた。

公園で。最後の日。

「よう、塾、帰り?」

洋ちゃんはあたたかいコーヒーを手に
ブランコの前の柵に腰をかけている。

「うん、二次試験の自己採点、だけだから、
今日はもう帰り」

「そ、どう?結果」

「ていうか、それ聞く?
ダメだったら、どうすんの」

「いや、ダメじゃない顔してたから、聞いた」

「うん、まあ、解答欄ずれたりしてなきゃ、多分、大丈夫」

「良かった。建築科だっけ?進路」

「うん。設計士になりたくて」

「じゃー俺が家建てる時は、サービス価格で頼むわ」

「割増ししてやるわ」

洋ちゃんが、笑う。

「ひでーな。でも、ホント良かった」

「うん、ありがと。洋ちゃんは?」

「まあ俺は、秋には決まってたから。スポ推で進学。
その後は日本かアメリカでプロ。で、大スター」

「壮大だな」

「大スターの豪邸建てるんだから、お前も箔つくぞ」

「豪邸には誰と住むんだよ」
……なんてことは、聞けなかった。
だから笑った。洋ちゃんと一緒に。

一緒に座り直したベンチ。

間には、やっぱりジュース1本分の空間。

縮まらない。
縮まら……ない。

多分一生。
この距離は。

でも、この距離があっても、洋ちゃんが好きだった。

好きだったんだ。

触れられなくても、自分の残した跡が、
教科書の黄色いラインだけだったとしても。

ただ、一緒に過ごした時間の記憶だけで、
ここまで頑張ってこられたんだ。

これは、間違いないんだ。洋ちゃん。

「あー……っと、実はそれが聞きたかったんだ」

洋ちゃんが沈黙を破った。
終わりの時間が近づいていることを悟った。

「お前が、ちゃんと自分の行きたい大学、
行けるといいなって、なんかすげえ、
気になってたから」

「まだ、当確じゃないよ」

「大丈夫だろ。あんだけ、古典教えるのうまかったし」

「意味わかんない根拠だね」

「確かに、意味わかんねーな。
いや、でも、何かこのままお互い全然違う場所に行くのが、
ちょっと寂しかったのが、本音」

洋ちゃん、ずるいよ。

「じゃ、まあ、すげえ建築家になんの、めっちゃ期待してるわ」

「豪邸の件、冗談じゃねーから」

洋ちゃんは笑ってベンチから立って歩き出した。

「うん、洋ちゃんも、体気を付けて。体が資本だろうから」

洋ちゃんは、振り返りざまに、ずっと握っていたコーヒーを投げてきた。

「ちょ、またかよ!いきなり投げんな、危ない!」

「合格祝い。俺、今金ねーし」

洋ちゃんは笑った。

手元に届いたコーヒーは、もう冷めてて。
多分、36.8℃。

ずっと、触れることすらできなかった、洋ちゃんの体温な気がした。

あれから

設計士として独立して、多忙さと楽しさのごっちゃになった日常は、
本当に矢のように飛んで行った。

初恋の記憶が、遠くて「キレイな思い出」になる頃、
十年ぶりくらいに帰省した実家。

古びた実家のキッチン。
両親だけの家にはそぐわないような大きめの冷蔵庫に貼ってあった、
写真付きのはがき。

「結婚しました」

とうとう、何も言えなかったな。
洋ちゃんの、笑った顔が好きなことも、いろはすの桃のことも。

びっくりするほど鮮明に想い出された
「あの頃の風の匂い」が鼻の奥で記憶をくすぐる。

大スターは、今、実業団野球のコーチをしているらしい。

「豪邸は、いつオファーが来ますかね」

薄い桃色の風が見えるような甘い写真の中。

洋ちゃんの隣りで笑うパートナーも、洋ちゃんと同じようにいい笑顔だ。

今、手の中にある缶コーヒーはぬるめ。

君の幸せを末長く願うよ。おめでとう。

今回の一曲「私」|Mrs.GREEN APPLE

Watashi
「私」Mrs. GREEN APPLE

今回の一曲はMrs. GREEN APPLEの「私」です。

ただ今回のお話は、曲モチーフでできたお話ではなく、お話が先。

このお話を作ってしばらくして、この曲に出逢い、お話に乗せたいと選ばさせていただきました。

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