その落語は「誰の為」|昭和元禄落語心中#3巻

漫画紹介

雲田はるこさん作画の『昭和元禄落語心中』。ここでは講談社から販売されているITANコミック版を紹介しています。

第3巻は「八雲と助六篇」其の三から其の五が収録されてます。

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「八雲と助六篇」其の三:「アタシの落語は誰の為?」

戦争も終わり、国中が「復興」に沸いている時代がいよいよ到来しようとしている時代。

落語は「笑いに飢えた庶民」によって大いに求められていました。

そんな中で「二ツ目」になった菊比古と助六は、毎日高座に上がる多忙っぷり。

しかし多忙であるけれど二人とも懐が温かいわけでもない生活を送っていました。

ただ、貧乏でも助六は大酒のみで女遊びも派手。だからいつも素寒貧。

なのだけれど、こうした生活は助六の落語に人間味を与え、助六は若手の中でも有望株として人気を上げていました。

一方の菊比古は、落語そのものは上手でも、どうにも一皮むけない様子で「自分は落語に向いていないんじゃないか」とスランプに陥っていました。

そんなある日、二ツ目だけでやる「鹿芝居」をやろうと助六がイベントを立ち上げます。

最初は乗り気ではなかった菊比古ですが、根が真面目な菊比古です。きっちり練習をして舞台に上がることに。

彼が演じるのは「弁天小僧菊之助」。天下の大泥棒です。

素がたおやかな雰囲気の菊比古が女装で舞台に上がると、その美しさにお客は彼の一挙手一投足を見つめます。

お客の注目を集めることにこれまで感じたことのない高揚感を得た菊比古は、この芝居で「何か」を得ます。

その「何か」はその後の彼の落語人生にも大きな影響を与え、彼の落語が花開いていくことになるのです。

そして、彼が落語に見つけた「何か」はみよ吉や助六とは相いれるものではなく、この後、みよ吉や助六の運命は儚い方向へ向かっていくことになるのでした。

このカットが好き!

第3巻、最初の「推しコマ」は45ページの3コマ目。

鹿芝居で「人前で演じること」の面白み、嬉しみを体に染みつけさせた菊比古が「お染さん」を話しています。

元々、菊比古は品のある人なので、彼の演じる「お染さん」は品があり、たおやかです。

どこか影もある女性を演じるのに、菊比古はぴったりで、惚れ惚れするようなお染さんを演じます。

で、どうしてここが今回の「推し」なのかというと、助六と同じ演目の同じセリフを比較できる数少ない場面だから。

物語のなかで、菊比古(八代目 八雲)は幾度か「助六の落語」を与太郎や小夏に見せますが、それは八雲が演じる助六なので純粋な比較はできません。

一方、この場面は「お染さん」を助六もちょっとやっているんですね。

同じ3巻の11ページ2コマ目。

助六の演じるお染さんは、陽気でおきゃんな感じです。

ここで助六の話す「まぁ~金さんよく来たわね」を46ページの1コマ目で菊比古も言っています。

2人の「お染さん」がどう違うのか、2人の落語の在り方がどう違うのか、ぜひ比べてほしいと思うコマなのでした!

「八雲と助六篇」其の四:「ここらでお開きだ」

鹿芝居の大成功の後、菊比古の落語はじりじりと開花を待っていた桜のように
パァッと花開いていきます。

「落語をするのが楽しくて」「いくらでも高座に上がりたい」
いつだかの状況とは打って変わって、脂がのり日々を充実させている菊比古。

そんな菊比古は師匠である七代目 八雲と各地への落語公演へと旅に出ます。

一方、東京に残って落語の日々に浸かっている助六は大衆人気がうなぎ上りで
戦後の落語界を引っ張っている存在と言っても良いほどのところへ駆け上っていました。

助六の落語は人の心をつかみ、笑いを巻き起こし、どこへ行っても大ウケです。

助六と菊比古は「自分の落語」の道をつかみ始め、「真打にあがりたい」という気持ちを
隠さなくなります。

しかし師匠 八雲は「菊比古は問題なくても助六の真打昇格には骨が折れる」と
いってなかなか話は前に進みません。

ただ現状の人気や実力を鑑みて菊比古のみ真打にさせることはできず
どうにか二人一緒に真打に上げられるよう方々を駆け回っています。

このように落語に関しては二人とも思うところはあっても順調に階段を上っていますが
「人間関係」についてはそうもいかず。

菊比古は付き合っている女性「みよ吉」との別れを自分の中で決意しています。
「好きだけれど、落語を捨ててまで一緒になりたいと、どうしても思えない」

菊比古の中で「世界に自分の居場所を作ってくれた」落語はかけがえのないもの。

その落語を失うことは、きっと菊比古の存在を世界から消してしまうに等しい恐怖感だったのでしょう。

菊比古の気持ちをどことなく察しているみよ吉は、助六に恋愛の愚痴を吐きますが
女性にだらしない助六は、気持ちの弱くなっているみよ吉につい同情し……。

今回の見出しに使わせていただいている「ここらでお開きだ」は助六のセリフです。

真打昇進を前に、ここまでずっと一緒に落語の道を歩んできた菊比古、助六は
それぞれの落語へ向かうことを腹に決め同居を解消することに。

そして、この二人の決心に、みよ吉の人生はまた大きく波打つのでした。

このカットが好き!

「八雲と助六篇」其の四の「推しコマ」は74ページの最後のコマ。

菊比古へ手を上げようとしたみよ吉が走って去り、助六に「追いかけないのか」と
問われた菊比古。

しかし追いかけない菊比古が、「好きだけれど、もう別れを決めているから」とつぶやきます。

別れを決めている人間が追いかける方が相手にとって酷だろうと。

「別々の道を歩む」と決めた菊比古の「落語への愛情」と「みよ吉への愛情」の性
まざまざと感じられるな、と。

菊比古の対応は別れを前に未練を持たせないことについて、確かに冷静で正しい対応だと感じます。
しかし、交際の最後となる「この期に及んで」も恋愛(というより一人の人へ)に取り乱してくれなかった
寂しさも感じるような、そんな一コマなのでした。

結局、菊比古を狂わせられるのは落語だけなのだなあと。

「八雲と助六篇」其の五:「手前で勝手に生きろィ」

真打昇格。これが「其の五」のお話の柱です。

菊比古と助六は(いろいろありながらも…特に助六は)無事に真打に昇格することに。

其の五はお披露目の千秋楽場面から始まります。

お披露目会で毎日「違う根多」をかけていた助六。その所業は異質ながらも根多そのものはお客に大ウケです。

一方の菊比古は、自分らしい落語を進めている様子。
師匠や落語界の義理を通すやり方で根多を披露していました(その場面は本編にはありませんが)。

千秋楽の最後の根多を、「居残り」で終えた助六は、落語そのものが上出来だったこと、
そして何よりお客に根多がウケたことに大満足です。

しかし「居残り」自体は落語協会会長の持ち根多だっただけに、師匠の八雲はたいそう肝を冷やしました。

ただお披露目会は盛況に終わり、二人は晴れて真打になったのですが―――。

お披露目会の後、みよ吉と別れ話をするために帰路についた菊比古と、
師匠 八雲と一献交わそうと八雲亭に残った助六では、その後の日々が全く異なることに。

菊比古は「自分の落語の道」に進むため、みよ吉と話をし、別れました。

同じころ、助六は師匠 八雲と「落語についての考え方」でぶつかり合い
売り言葉に買い言葉で何とその場で「破門」されることに。

恋を失い行く道を失ったみよ吉と、己の落語を頭っから否定されてしまった助六。
二人は何の糸がひき合ったのか、道すがら出会ってしまうのでした。

「何かあったの?話聞いてあげる……」
みよ吉のこの一言に、ゾッとするのはきっと私だけではないはず。

このカットが好き!

今回の「推しコマ」は125ページの最後のコマ。

菊比古と別れ話をしているみよ吉の表情にグッときます。

菊比古との「交際の終わり」に関しては、みよ吉はもうわかっていて、この話し合いでは
「交際をどうするか」という点はすでに論点ではありません。

「別れ」に対して二人がどうオトシマエをつけるのか、そういった話し合いの場です。

お互いに自分の気持ちを話し、その後の一歩を踏み出すための、そんな時間。

とはいえ、会社を辞めるとか学校を変えるとか、そんな話ではないので
頭ではわかっていても恨みつらみの一つでも言いたくなる時間です。

「誰かに依存していないと正常に立っていられないタイプ」のみよ吉に対し
菊比古は「男も女も自分のために生きる時代だ」とみよ吉を諭します。

しかしずっと誰かに依存して生きてきた…というより、それが「生きる術」だったみよ吉には
菊比古の述べる言葉の意味も気持ちも考えも伝わり切りません。

菊比古との別れは受け入れるけれども、生き方を早々変えられるわけもないみよ吉は
「死んで化けて出ましょうか」
と菊比古に凄んでみせます。

今回の推しコマは、そんな凄みの後の一コマ。
みよ吉の弱さや強がりが入り混じった表情が何とも言えない空気を生んでいます。

うん、つい、手を出して涙を拭きたくなるなあ。

それでも「みよ吉を好き」な気持ちに人生を傾けられない菊比古は
みよ吉との交際に終止符を打つのでした。

そして、このお話をもって、昭和元禄落語心中の3巻は幕を閉じます。

続きは、第四巻へ。

昭和元禄落語心中(3) (ITANコミックス)

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