[親は親の道を]学ぶこと、生きること、幸せでいること[子どもは子どもの道を]

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私は、公立小学校で教員をしていた経験があり、また進学塾で講師もしていました。

関わった子どもの中は、とても偏差値の高い大学に進学した子もいるし、地元で家業を継いだ子もいるし、本当にそれぞれです。

でも、そうした子ども達を見ていて私が痛切に感じてきたのは「幸せと偏差値の高さは関係ないな」ということ。

特に、親の満足のために「それ、本当にあなたが望んだこと?」という道を歩いた子は、偏差値の高低に関わらず「生き直し」に苦労している人が多いです。

今回は私が現在のメディア情報などを見ていて感じた「教育への違和感」について。

勉強と幸せと学び

勉強すること、幸せに生きること、そして学ぶこと。

この3つを軸に親になった人が「本当に自分自身が幸せに生きるには?」を考えていきます。

友人の話

私の友人に、そもそも物事の処理能力が高くて、東大に現役で進んだ人が何人かいます。

その中の二人について。

まず一人目。小学校の頃からの同級生だった男の子の話。

私は地方の田舎町の生まれ育ちであり、彼もまた、そうです。

彼の親はすごく教育熱心だったわけではなくて、本当に至って普通。

彼が東大に行ったのも「彼が行きたいというから」といった感じでした。

一方、確かに頭脳明晰だけど、行きたい学校は東大ではない、という子がいました。高校の同級生、女の子です。

彼女も東大に行けるだけの偏差値がありましたが、彼女はお兄さんも東大に行っていて、その話を見聞きするうち、別の大学に行きたくなりました。

しかし、彼女の両親は東大以外の選択肢を彼女から取り上げます

受ければ合格するだけの学力はあるし、東大以外で提示された条件を彼女は受け入れられなったため、彼女は本来の希望ではない東大に入りました。

彼女の両親は、兄妹そろって東大に入れたということで、地元の(噂上では)有名な人になりました。

東大に行った彼女は、元々が賢いので、進学後自分で「学びたかった」勉強を独学し、結局自分で稼ぎ、本当に行きたかった大学に入り直しました。

地元に帰って来ても、実家には寄らず、友だちと会うだけで、また現在の居住地に戻ります。

それって本当に本人の望み?

現在、メディアで活躍されている方に、お子様を全員東大の理Ⅲに合格された女性がいますね。

私には到底できないことなので、その方がされた努力を私が否定する気は毛頭ありません。

ただ私が気になったのは「お子様方は本当に誰一人、東大理Ⅲ以外の進学先や進路を希望しなかったんだろうか」という点です。

そんなに賢いお子様方なら、1人くらい海外の大学を志望されたり、もっと自分の力で何かを起こしたいと思う方もいたのではないのか、と。

東大に(しかも理Ⅲに)現役で合格するというのが、どれほど難しいかは、塾講師をしていた分、よくわかります。

でも、逆に「もっと出来る子なのに、敢えて理Ⅲ」というなら、それはそれで、子どもの芽を摘んでいるように感じました。

子どもの語ること

我が家には2人、子どもがいますが、彼らは全く別の夢を語ります。

1人は農場経営。1人は宇宙飛行士。

この2人を、東大理Ⅲじゃなかったとしても、私は同じ進路・同じ進学先に入れることはできないなと感じています。

この先、2人がたまたま同じ職業を選ぶなら、彼らが目指すところへの努力に対し(できる範囲で)サポートしたいとは思います。

でも生まれてこの方ずっと観察していて、たった2人の子だけど、この2人が同じ道を歩むとは到底思えないのです。

自分が子どもを持ってみて、改めて「兄妹が東大の同じ学部に行った」友人のことを思い出しました。

親にとって、子どもが勉強が良くできるのは、目に見えて「成果」を示してもらっているような感じです。

でも、それって親がどれだけサポートしたからって親の成果ではなくて、実際その場で問題を解き、試験のピリピリにさらされ頑張った「子どもの努力」以外の何物でもありません。

これを、親って忘れがちになるのだろうと、私は自分自身が子どもをもって改めて感じました。

だって、自分もそういうところ、ありますから。

だからこそ、自分への戒めとして、子ども達が願う夢、進みたいと思う道、やってみたいと思うことには、サポートこそすれ否定や別のレールを敷くことはしまい、と考えています。

学ぶことは幸せにつながる

現在は、学歴社会とは言えど、もっと働き方や生き方が自由になってきたので「偏差値だけで」何かを語れる社会ではなくなっています。

むしろ、歴史を見てみれば「偏差値だけで」何かが語れたことの方が短いのですが。

家が貧しくても研鑽を積んで一流の学力を手にした人、一生技を磨き続けて伝統工芸の世界で一流になった人。

歴史上にはこうした人がたくさんいます。名を残す・残さざるに限らず、日々を真っ直ぐにコツコツ生きた素晴らしい人はたくさんいます。

ただ、こうした人はおしなべて「ずっと学び続けた人」が多いです。

別に偏差値がどうの、ではなく、学力的な知識ではなくても、人はずっと学び続け、自分自身の情報や生き方をアップデートしていくことが「自分自身の幸せに繋がる」んだろうと思います。

そして、この「自分自身の幸せ」に関して重要なのは、自分の夢を人に託さない、ということではないでしょうか。

自分の夢は自分で叶えるものであり、誰かの夢に乗っかるのは、親であってもしてはいけないことだと私は考えています。


まとめ

今回、お子様を全員東大に入れた方を例に挙げましたが、私は別に彼女を批判したいわけでも何でもありません。

それだけの情熱を子どもの教育にかけられるのって素直にすごいと思うし、それに応えられたお子様方は本当に賢い方たちだったのだと思います。

でも、自分が真似したいかと言われたら、1ミリも真似したいとは思いません。

なぜか?

私は、もし「東大」に何か憧れがあるなら、自分が勉強していこうと思うし、子どもには自分でつかんだ道の中に幸せを見つけていって欲しいから。

私が見たいのは、親の努力で「その道に進んだ子どもの姿」ではなくて、彼らが「彼ら自身の力で切り拓いた道の中、泣き笑いをして生きる幸せな子どもの姿」だからです。

取り戻せない「子どもの時間」をどうかたくさんの子ども達が笑顔であることを祈っています。

何より、その子たちが、将来「自分の力で生きていく力」をたくましく身に着けていることを、心から願っているのです。

「窓ぎわのトットちゃん」校長先生のような大人になりたい

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