[叱らないなんて無理]育児は人間関係の陶冶だと思う[子育て]

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「陶冶」という言葉があります。

「とうや」と読みます。私が高校生の頃、教頭先生に教えてもらった言葉です。

大まかな意味は次の2つ。

1 陶器をつくることと、鋳物をつくること。

2 人の性質や能力を円満に育て上げること。育成。「人格を陶冶する」

出典:goo辞書

今回は「叱らない育児」なんてできてない私が「陶冶」を軸に語る「出来るだけお互い穏やかに生きようぜ」論です。

「叱らない」じゃなくてお互い良い状態でいようぜ、と考える

世間には「叱らない育児」とか「褒める育児」とか育児に関する言説?が色々ありますね。

基本、私はこうした本は読みません。だって追い詰められるもん。そのタイトルだけで。

「叱らない育児」?え?叱っちゃだめなの?

そう思うこと自体が、もうストレス。

本を読む暇があったら、子どものこと観察してた方がよくない?と私は個人的に思っています。

で、子どもを観察しているとわかることが必ずあるんですよね。

「あぁ、この人にはこっちのアプローチの方がいいよな」

という部分。

日々子どもと生きていて「叱らない」なんてできないけど、できるだけお互い感情的にはなりたくない。これは確かだと思います。

そこで私が今も実践している「できるだけお互い穏やかにいようぜ」という心持ちを持続するのに役立った方法を3つご紹介します。

・観察する
・相手の「現状」を把握する
・話し合いはやめない

ではこの3つ、詳しくみていきましょう。

観察する

私は個人的に、育児本をいっぱい読むなら、子どもを観察する時間を増やした方がいいと思っています。

観察して、関わる時間が多い方が「本当にその人(子ども)が困っていること」がわかります。

で、出てきた「困り事」に役立つ情報が書かれた本は、読めばいいと思うけど、その時に読む本はできるだけ具体的な方法が書かれている実践系の本がいいと思います。

「6歳までに身につけたい男の子の~」とか「10歳までに教えたい女の子の~」とかの本もエンタメとしてはいいけど、それが「自分の関わっている人(子ども)」に当てはまるかなんて不明です。

子どもって同じ親から生まれていても、一人ひとり全然違うから、同じアプローチの仕方で教えても全然理解度が違ったりしませんか?

我が家、娘は数学の公式とかは一度は「形式的に」暗記できるけど、どうしてその公式がその形になったのかは、説明できないタイプです。

一方、息子は理由がないことを暗記することはほぼできませんが、理由があったり、物語があることについては背景含めて説明できるタイプ。

だから、この二人に同じことを同じように説明しても、どちらかにしか伝わっていません。

それを「きーーーーー!なんで〇〇には伝わらないの!!!」とこちらが感情的になっても、なるだけ無駄だわ、と気づいた頃から伝え方が変わり、その後は楽になりましたねー。

説明の時間をそれぞれで変えるから、時間は2倍かかるけど、二人にはそれぞれ伝わるアプローチをすればこちらも相手も感情的になる時間を減らしていくことができました。

結果、トータルでイライラする時間は減ったので善き哉、善き哉。

これができるようになったのは、本から得た知識ではなくて、専ら「彼らを観察した」おかげです。

相手の「現状」を把握する

観察にも通じますが、お互い穏やかに生活したい場合「相手が何ができて、何が難しくて、どうしてできないのか」を正確に把握する必要があると思います。

例えば、まだミルクしか飲めない乳児に「どうして大人と一緒のご飯が食べられないの!!!」とキレる親はいないと思います。

これって「相手がまだミルクしか飲めない=ミルクを消化する身体能力しか持っていない」現状を大人が把握しているから、怒ることもないし、憤ることもないんですよね。

でも、この認識って子どもが大きくなるにしたがって薄れていって、いつの間にか「どうしてできないのーーーー!!!」になっちゃう。

だから、この「どうしてできないのーーーーー!!!」の時に、本気で「どうしてできないんだろう?」の原因を突き止めるといいです。

すると「手が届きにくい」とか「(言われていることを実践する際の)動線が悪い」とか「その人(子ども)にとってのルーティンが自分(親)と違う」とか何かが見えてきます。

原因がわかれば改善方法も見えてきますよね。

動線が悪いなら、動線を改善すればいいし、ルーティンが違うならそれを一旦その人のルーティンに任せてみればいいんです。

我が家、子ども達は帰宅後の片付けが本当にすぐにできなくて、そのことですごく腹立つ日がいっぱいありました。

私が「子ども達に自分でやってほしいこと」を口頭でいくら伝えても彼らにはうまく伝わらず、どうしてよ!?と。

そこで、子ども達と話し合い「学校から帰ってすること」をリスト化して、あとは自分たちのペースでやってもらうようにしました(時間の上限はありますが)。

リスト化するのに使ったのは、Amazonとかにも売っている「子どもチェッカー(やることリスト)」ですね。

こういうの使うと、彼らも自分たちのやるべきことが可視化されてわかるようになったし、私も「〇時までにやってればOK」という余裕ができたし、このことでお互いが嫌な気持ちになる日は減りました。

これも「相手(子ども)の現状」を把握したから、対策がとれたことだな、と思います。

こどもチェッカー やることリスト

話し合いはやめない

子どもがある程度大きい場合、お互いが穏やかにいるために何より大事なのは「話し合いをやめない」。これに尽きる気がします。

相手の状況を聞いて、こちらも状況も伝えて、家族がどうすれえばスムーズに穏やかに回っていくのか。

家族それぞれの役割を固定化せずに、状況に合わせて変えられるように、話し合いをし続けることは大切。

これはちっちゃい部分から実行していくのが大切と考えています。

我が家の息子は現在「かいけつゾロリ」のテレビシリーズをとっても楽しみにしているのですが、これを観たい!ということで彼は日曜日の夕方はとてもキビキビ動きます。

でも、夫は(息子がゾロリを観たいことは知っているのに)ゾロリが始まりそうになる頃に「歯磨きをしなさい」とか言います。

息子は「僕はゾロリのために色々なことを終わらせたのに、なんで今さらそういうこと言うの!?」と怒ります。

これ、事前に夫と息子は「ゾロリが始まるまでに歯磨きまで終わらせる」という約束はしていません。

さらに、歯磨きはゾロリが終わってからでも特に支障はないんです。

このやり取りを見ていて、私は「そりゃー息子怒るわな」と思います。

例えば、夫と息子が事前に話し合いで「ゾロリが始まるまでに歯磨きまでする」と決めていたなら別ですが、何の話し合いもなく一方的に言っちゃうと不穏な状況を巻き起こすだけです。

でも、夫は親の強権的な感じで、こういうの言い放つんですよね(口調が荒いわけではありませんが)。

私は、こういうの間違っていると考えているので、いくら親だろうと相手のペースを何の約束も(大した理由も)なく乱すのはおかしいと夫に言います。

我が家は夫が単身赴任のため、普段の生活ペースは私が子どもと話し合って決めています。

例えば寝るまでの時間について。

しっかり睡眠時間をとるため、21時までには寝てほしいから「20時40分には歯磨きを終わらせよう」(なぜ21時までに寝た方がいいかも、話をしています)と私は提案します。

するとその時間を聞いて、子ども達が提案をします。「では、20時20分までは自分たちの好きなことをしていていいか?」と。

特に問題なければそれは「いいよ」となります。

お互い話し合いで決めたことは守るように努めるので、私も彼らが寝る準備を始める時間までには、片付けなどを終わらせ、寝る準備に付き合えるようにします。

お互いが話し合いで決めたことなら、結構スムーズに事が運ぶなあというのが、最近の感想です。


まとめ

冒頭の言葉「陶冶」を教えてくださった教頭先生は仰いました。

「教育というのは、まさに「人格の陶冶」に携わっているんだよ」

私、子ども達に怒らないなんて、できません。どうしても、感情的になることがあります。

強い口調で注意することを「叱る」とするなら、「叱らない」なんてこともできていません。

でも、子ども達の「人格の陶冶」に関わっている、という意識は忘れ事がありません。

そして、これは子を持って実感したことですが、子ども達もまた、親の人格の陶冶に関わっている人です。

親って、神様でも何かを悟った人でもありません。立派ではないし、親自身の人格も日々「陶冶」されている最中です。

だから、立派でなくちゃ、とか気負い過ぎずに、子どもと一緒に素敵な作品を生み出していこう、と思えたら、楽しいだろうなと日々思っています。

家族も、一人ひとりが手を加えながら陶冶していくものだと、そう思います。

実践本として役立った「発達障害の子どもを伸ばす魔法の言葉かけ」

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