詩に触れておくことが、あなたの心を救ってくれること、必ずあります。
心の窮地で、思い出すのは、心に刻まれた数々の言葉、という瞬間が必ずあります。
今回は「生きて、積み重ねてきた時間を、素直に「美しいのだ」と認めることができる詩」をご紹介します。
今回ご紹介するのは「くじけないで」。柴田トヨさんの詩です。
「くじけないで」柴田トヨさん
柴田トヨさんが処女詩集が出版された当時、99歳の詩人としてメディアでも多く取り上げられていました。
私自身も、そのメディアでの紹介があって、柴田トヨさんのことを知りました。
2010年頃の話です。
当初は自費出版だった「くじけないで」。
「くじけないで」はその反響の大きさに飛鳥新社が内容を追加、装丁を変更して再出版したという詩集です。
柴田さんご自身は裕福な家庭に生まれながら、家庭の事情で暮らし向きが大きく変わった人生を歩まれたそうです。
しかし、柴田さんはご自身の日々を最後まで「心豊かに」過ごすことを忘れなかった方だと思います。
100年という、長い長い日々を「生き抜いて」こられたからこそ、そして、心豊かにあることを忘れなかったからこそ込めることができる「言葉への重み」が柴田さんの詩集からは感じられます。
決して難しい言葉を遣っているわけではないのに、心がグイッと押されます。
一番芯のところへ、まっすぐに届いてきます。
「くじけないで」
このたった6文字のひらがなに、救われるんです。
積み重なる日々の美しさ
私は基本的に自分より年若い人に対して「経験でしか」モノを語れない人というのが苦手です。
確かに経験はとても貴重ですし、百聞は一見に如かずということがあるのは重々承知しています。
それでも、若い人は年長者から「経験」を引き合いにして話をされると、何も言い返せなくなってしまいます……。
しかし、柴田さんの言葉というのは、全てが積み重ねてきた日々(生きてきた経験)から発せられているのに、他者に対する抑圧感が全くないんです。
柴田さんが紡いだ言葉には、全てに「背景」があって、血が通っているのが(背景を知らなくても)伝わるんです。
だから柴田さんから「くじけないで」と言われると、同じ言葉を子ども達に言われるよりやっぱりずっと重くて、ずっと心に響いて、「くじけないで」が血になり体を巡る気がするんです。
同じ言葉を使ってもその「重みが違う」という現象を、身が打ち震えるほどに感じたのは、柴田さんの詩集が初めてだったかもしれません。
あぁ、こういうのが「生きてきた時間や経験の違い」なんだな、と本当に素直に思えたのを覚えています。
今回表題にしている「くじけないで」はもちろんぜひ読んでいただきたい詩ですが、詩集『くじけないで』の中にある、今だからこそお伝えしたい詩をご紹介します。
秘密
私ね 死にたいって
思ったことが
何度もあったの
でも 詩を作り始めて
多くの人に励まされ
今はもう
泣きごとは言わない九十八歳でも
恋はするのよ
夢だってみるの
雲にだって乗りたいわ出典:柴田トヨ/「くじけないで」
最初の「死にたいって思ったことが 何度もあったの」で心が揺らぎました、まるで見透かされていたような気がして。
でもこの詩集が出版された当時、柴田さんは90歳も超えていらっしゃったので、そうして日々を重ね長く生きてらした方も、何度も死にたいって思ったのだと……。
何というか、自分が抱いていた「死にたい」って思ったことへの苦しさを許してもらえた気がしました。
「死にたい」って思ったとしても、それでも生きていようと……柴田さんが光を示してくださったことで、私は生きることへの本当の光を見た気がしました。
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