suzumokuさん|「ソアラ」|何度も 何度も 軽やかに

音楽紹介

以前、大好きなミュージシャンとしてこのブログでご紹介していた「suzumoku」さん。育児中ということもあり、ライブに足しげく通えることもなく、suzumokuさんの情報は主にインターネットで得ていた。そして久しぶりに彼のサイトを訪れてみると……。彼は2017年3月一杯で活動を休止するということが発表されていた。このことは私にとって、静かながらも結構深い、ショックな出来事だった。


爆発的ではないかもしれない、でも……

suzumokuさんを知った頃については「あまりにも美しすぎて/suzumokuさん「ユーカリ」のブログに詳しく書いた。そこでは、大好きな曲である「ユーカリ」を中心に彼のことを自分の目線で紹介させていただいた。初めて知った彼の曲は「適当に透明な世界」だったはず。ituneストアでピックアップされていた曲が確かこの曲だったから。私は当初、この曲の歌詞というより、彼の声に惹かれた。懐かしく伸びやかだけれども、どこか愁いとか夕暮れ時のしみるようなさみしさを感じさせる彼の声に、無性に惹かれたのだ。

2007年の音楽シーン

suzumokuさんが最初のアルバム「コンセント」を世に出したのは2007年。当時、J-popと言われる曲の年間チャートは以下の感じだったそう。
【2007年 年間売り上げチャート】
1位……千の風になって/秋川雅史
2位……Flavor Of Life/宇多田ヒカル
3位……蕾(つぼみ)/コブクロ
4位……Love so sweet/嵐
5位……Keep the faith/KAT-TUN

2007年は宇多田さんが休養(人間活動)をされる前で、きっと世間では「花より男子」がヒットしていた頃なんだろうな……(観てないから覚えてないけども)。一般的に言う音楽シーンというものについて、詳しく語れるほど知識はないけれど、私の感覚であの頃を振り返ると……。今でも実力派と言われる、1990年代末から出てきたミュージシャン・アーティストもイイ感じに熟してきていて、そうした人たちで音楽業界がまわっているような、ちょっとしたマンネリ感が出てきた頃だったようにも思う。

自分自身では、小学校での勤務が3年目で、職場の人間関係にネガティブな意味で驚くことが増えていて、心を鈍くすることで日々をやり過ごしていたような時期だった。そんな時期だったので、宇多田さんの「Flavor Of Life」の歌詞にある「淡くほろ苦い」という言葉のほろ苦さばかりが感じられていたような気がする。今よりも自分自身に使えるお金があったとはいえ、経済的に裕福すぎる毎日を送っていたわけではなかったあの頃。通勤時の気持ちを何とかアゲようと購入したi-podには、流行している曲というよりは好きな曲ばかりがルーティンでかかっていた。

そこに、ある日、まるで光が差すようにまっすぐに耳に届いたのが、suzumokuさんの声だった。私の中で鈍感にせざるを得なくなっていた心の琴線が、どう制御しても止められないくらいに、共鳴した。そんな声だった。2007年当時の音楽業界には、宇多田さんをはじめとして、すでに認知度も高く、表現性も抜群のアーティストが大勢いた。だから、suzumokuさんがそこを割って爆発的なヒットをするかというと、そういう風には思えなかった。

なぜなら彼の声も、歌詞も、あまりにも、まっすぐ過ぎたから。彼の世界観に、私は商業的な匂いを、ほとんど感じられなかったから。彼の中にも、もちろん売れたいとか、ヒットさせたいという気持ちはあったと思うけれど(直接お話なんてしたことがないから本音はわかりません)、でも、彼の発する音や言葉には「食っていくため」の現実感はあまりなかった気がする。一方で、その人の心がその人であるための、本当の意味での「生きていく」ための何かが、込められていたように思う。

「ユーカリ」「週末」「セスナの空」「レイニードライブ」

私が今も彼の曲で最も愛するのは「ユーカリ」だ。ただ、彼の曲が好きだという人には「週末」という曲が好きという人も多い。「週末」は、生きることを直接的に唄っているような曲。抱えきれない憂いと空虚の溢れる世界を自ら閉じる少年や、傷を持たなければ時間を刻めない少女が、「週末」には描かれている。淡々としているのに、心の深い部分をえぐられるような歌詞は、聞くたびに耳が緊張して、頭の血流がギュッと締まる感じがする。

ただ私は、そうしたドンと胸を突かれるような曲以上に、歌の世界でしか構築されることのない理想をうたっている(そのために結局現実に戻るとガックリ感が大きい)ような曲が好きだ。それが「ユーカリ」だったり「レイニードライブ」だったりした。その曲と言葉の世界に浸っている間だけは、私は現実から浮遊できていたから。

爆発的なヒットではないけれど、それでも世間の認知度が上がってきてから発表された「素晴らしい世界」も、「ソアラ」「ストリートミュージシャン」もネガティブとポジティブが絶妙にマーブルされていて、私には本当の意味で癒される曲だ。特に今回のブログのタイトルに入れた「ソアラ」は、彼の曲の中でもポジティブ色が強くて、初夏に聞くにはもってこいの曲。

知り合いが琵琶湖で滑空機をフライトさせる活動?をしているので(世にいう「鳥人間」ですね)、ソアラを聞きつつフライトの様子を見ていると、滑空機が空をすべり風をきる様子が、ソアラの曲と相まって、それはそれは気持ちの良い景色を心に残してくれる。

その「ソアラ」の歌詞には「君は今日も風を探しては 夢の形を飛ばす」という一節がある。suzumokuさん、あなたは今もあなたの心が自由に広がる空を、そこに吹く風を、探してるのだろうか。そうであってくれたら、あなたの声と言葉に救われた私は嬉しいなと思っている。彼の声と世界観と、紡がれる言葉が、二度と世にまみえないというのは、私はあまりに惜しい気がする。何より彼が自分自身、幸せに過ごせることが一番大切なこと。ただ、大きく世間から注目されなくても、彼には言葉と曲を紡いでいてほしいと思うのは、10年前のあの日に、あなたの声と言葉に魅了された片隅の人間のエゴに過ぎないのだけれども。

「街灯」

今回のブログは「ソアラ」をタイトルに持ってきた。しかしながら、最後は「街灯」という曲の歌詞を引用させてもらってしめようと思う。二人が夕暮れ時にほとほとと歩いているような空気感のこの曲。温かいけれど切ない、時間に限りがあることを静かに教えてくれる。suzumokuさん、あなたの毎日がどうか、穏やかで、やさしくありますように。suzumokuさんと、suzumokuさんにつながるすべてのいのちが、しあわせでありますように。

どこかの救世主が 何を救おうとも
君が一つ また一つ 笑顔になれるなら
迫りくる最期が どれほど暗くとも
街灯が一つ また一つ 灯される日常を願うだけ
「街灯」より


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