優しさが見えた時、優しさに出会った時、とても美しい気持ちになれます。
ただ、優しさって、見える時ばかりではなくて、むしろ「見えない優しさ」の方が世の中には多いのではないかと思っています。
そしてこの「見えない優しさ」を世の中に注いでいる人は、感謝されないことが多いから、ちょっと心が疲れやすくなることも、多い。
そういう世の中を支える「見えない優しさ」について気づかせてくれるのが槇原敬之さんの「ビオラは歌う」です。
誰かの注いでくれる「見えない優しさ」に気づいて、ありがとうが増えていく世界になりますようにと祈りがながら……。
「ビオラは歌う」の基本情報
「ビオラは歌う」は槇原敬之さんの17枚目となるオリジナルアルバム『不安の中に手を突っ込んで』の4曲目に収録されている曲です。
『不安の中に手を突っ込んで』は2010年6月にリリースされたアルバムで、今回ご紹介している「ビオラは歌う」はNHKの「みんなのうた」の2010年6月~7月期に放送されました。
誰もが、誰かにとっての「見えない旋律」に
「ビオラは歌う」。さすが「みんなのうた」で放送されただけあるなあ……というのが率直な感想。
ですが、この曲を私が聴いたのはアルバムが初だったので、実は「みんなのうた」で放送されていたことは知りませんでした。
でも、曲を聴けば「多くの人に届いて欲しい」という槇原さんの気持ちをうかがい知れる気がしました。
優しい気持ちになれます。
自分は「気づく側」になれるか?
「ビオラは歌う」の最初の歌詞には、こんな言葉が綴られています。
ビオラが居なくてもきっとなにも変わらないさ
そうみんなで笑い先に始まった練習出典:「ビオラは歌う」/作詞作曲 槇原敬之
オケの練習でしょうか。
本来ならばいるはずのビオラが不在の状況で、練習を始めようとする仲間たち。
しかし、練習を始めてみると……
でも!
何故かいつものように調子がでなくて
悩むみんなを指揮者は訳知り顔で笑う出典:「ビオラは歌う」/作詞作曲 槇原敬之
ビオラが居なくては「どうもいつもの調子がでない」。
けれどまだみんなは「どうしていつもの調子が出ない」のかその理由がわかりません。
訳を知っているのはどうも、指揮者だけ。
この部分を聴いた時、私はドキッとしました。
「誰かが欠けた時、私は『居なくても平気でしょ』という側に、自分がいそう」
そう思ったからです。
みんなそれぞれ「居なくてはいけない」存在だって、私は心から言えるだろうか。
家族ならみんな一人ひとり、いなくちゃいけない!って思うけど、職場とか「ちょっとしたつながり」の場で、私はみんなの存在を大事にできているのだろうか。
「ビオラは歌う」を聴いて、自分は一人でも平気って思いあがってない?と振り返りました。
「誰かの為に必要な自分」
自分の存在は、誰かにとって必要なのだろうか?
親となってみて、子どもにとって自分は「親として」必要にされる場面は増えました。
でもこれって、子どもなら親がどんな親だって、小さい頃は無償で「親として必要に」してくれます。
だけど、私は、本当の意味で「誰かの為に必要な自分」になれている?
「ビオラは歌う」ってすごく優しい曲なんだけれど、結構辛辣なことを、ダイレクトに聞いてくる曲なんです。
しかし、よく考えるとこれは表裏一体の問題で「自分が誰かにとって必要な存在」であるには、自分自身も「誰かの存在を必要とする人間」になる必要があるわけです。
子どもを含め、自分の家族は「私にとってすごく必要」な存在。
でも、それだけじゃなくて、実は自分の生活に繋がっている誰もが、自分にとっては「必要な存在」であることを、そうした繋がりをもっと大事にしなければいけないことを「ビオラは歌う」は教えてくれました。
そうして、誰もが誰かにとって必要な存在である事が出来れば、きっと大きな社会の中で「独りぼっち」でいる人を減らせるのだろうと、そう思っています。
誰かの為に必要な自分になれる事で
感じられる幸せがあると教えるようにビオラは歌う
出典:「ビオラは歌う」/作詞作曲 槇原敬之
まとめ
槇原敬之さんに関しては、色々と報道されることがあります。
その報道が現行の日本社会において「善し」とされる内容でないことは重々承知しています。
でも、やはり彼の生み出す作品には魅力があって、「人と違う」からこそ見えた「アベレージ」に対する感覚もあって。
斜めの線は、真っ直ぐの線があるから、相手が斜めだとわかるように、斜めの線上にいるからこそ見える「真っ直ぐな線」についての意見。
これはとても重要だと、私は考えています。
そして、社会には真っ直ぐな線も、斜めな線も、波形も点線も点描も、あらゆる表現があるからこそ成り立っているのだと、私はそう思っています。
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