最近の曲って、という話

音楽×漫画

「音楽が好き」という(特に中年以上の)方の中には「最近の曲は薄っぺらくて」という言葉を使う人がいる。

そういう意見があるのは自由だけれど、私はその意見に同意できない。

「最近の〇〇は…」なんてこれまでたくさんの大人が言ってきたことだけれど、大人とコドモの境目が明確ではない現代、この言葉は果てしなく意味がないように、私には思える。

鼓動の速さ

子どもと暮らしたことがある人の多くは知っていると思うのだけれど、子どもというのは鼓動が早く、体温が高い。

若い人がアップテンポの曲を好む傾向があるのって、こうした「年齢による鼓動の速さ」の違いもあると私は思っている。

年を経ると、若者が好むテンポの速い曲に対して「そんなガチャガチャした曲」という大人が増えるのは、若者と年配者では鼓動の速さが違うからでは、なんて思ってしまう。

そして若者は細胞も若いし、少しの振動でも「体温を上げられる」から、一部の大人にとって「薄っぺらい」と思える言葉にも敏感に反応して心を奮わせられるんだと思っている。

若く瑞々しい人たち。彼らは感受性が新鮮で、アンテナが柔らかい。少しの言葉では心が奮わせられなくなった、そんな大人と違って。

音楽があったから

私には音楽のない人生は考えられない。日々どれだけ音楽に救われてきたか、と自分の生きてきた日々を振り返るとそう思う。

10代、20代の頃はテンポの速い曲も好きだったし、その時に流行った曲にも歌詞にも、すごく助けられてきた。

ただ自分が10代や20代の頃に聞いてきた全ての曲が、今もなお、今の若い世代に歌い継がれているかというと、残念ながら私が聞いてきた曲はそんな曲ばかりではない。

でも、あの一瞬、あの1日、あの時間、私を救ってくれたのは、往年の名曲もあるけれど、その時に流行した曲もたくさんある。

こうした経験があるから、私には「最近の曲は薄っぺらい」なんて口が裂けても言えない。

だって、現在の私のテンポには合わなくなっているかもしれないけれど、今生まれている曲は、歌詞は、今を生きる10代や20代の感情に確かに刺さっているのだから。

あの頃、速い鼓動の中を生きた自分に刺さった曲や言葉があったように。


海と音楽

とっても昔に作られた曲でも、今も変わらず歌い継がれる曲はたくさんある。

いわゆるフォークソング世代の親を持つ私は、幼い頃から親の影響で「親の好きだった」アーティストさんの曲に親しんできた。

「いい日旅立ち」「母に捧げるバラード」「傘がない」「さよなら」「初恋」……

などなど、挙げればきりがないほど、あの時代の楽曲はたくさんの曲が今も大切にされている。

けれどきっと、当時だって、瞬間的に流行って今は知られていない曲もあったはず。

今も残っている曲というのは、あまたある曲の中で淘汰され生き残った曲だと思う。

そんな「選りすぐりの生え抜きメンバー」のような曲と、「淘汰前である」今生まれた曲を比べるのはなんか違うんじゃないか、と私は思っている。

これは、経験を積んだ往年の名選手と入部したての新人を比べている、というほど無茶な話じゃなかろうか。

音楽を海とするなら、そこには「多くの人にとって」親しみやすい「浅瀬」と「もっと知りたい」一部の人だけが知る「遠洋の深み」があると思う。

しかし、浅瀬で多くの人を楽しませる音楽が「薄い」わけでも、深みを知っているから「偉い」わけでもない。

海ってそんなに懐が浅いものじゃない、と私は考える。

それに遠洋だって、ずっとずっと泳いでいけばまた、浅瀬へ戻る。

きっと本当に音楽のことに精通していて、造詣が深い人は、浅瀬の楽しみ方も遠洋の深みも、どちらも知っていて、さらにどちらも尊べる人だと思っている。

最近の〇〇は

音楽に限ったことではなく、文学だってアニメだって漫画だって、とにかくありとあらゆるものに対して、一部の大人は「最近の〇〇は」と言いたがる。

そしてその「〇〇は」の先には大抵ネガティブな意見を持ってくる。

でも、自分も含め大人って「最近の〇〇は」と意見できるほど「最近の〇〇」について詳しいわけじゃない。

自分が付いていけなくなった事実を、新しく出てきたものを否定することで、隠したいんじゃないか、とさえ思う。

今も残る往年の名曲・名作・名品は心を豊かにしてくれる、非常に優れた存在だ。

だけれども、今生まれている〇〇が、決して薄っぺらいなんては思えない。

たくさんの芽が生まれ、時代が豊かに彩られ、新しい花が咲いていくのを見られる。
私にとってこれほどに美しく素晴らしいと思える瞬間はない。

最近の世界は、ちょっといい感じなんじゃない?
そう言える大人が、子どもが、世界が、生まれ続けていくのがいい。

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