子どもが幼い頃に繋がったママ友。
出逢った当初から感じていた違和感が「感覚」ではなく「現実のもの」として姿を見せることになったある事件。
その事件をきっかけに表面化し、亀裂が入り、そして私はダンシャリズムに乗って、不要なママ友関係を断ち切っていきました。
今回はその「事件」後、からのお話。
事件についての詳細はこちら→関係を断ち切るまで①
違和感がついに「現実」に立ち出でた
私が最初に知り合ったママ友であるAさん、そしてそのAさんから広がったつながりの中にいたBさん、Cさん、Dさん、Eさんの子どもは、娘と同じ通学路を使います。
さて私を含めたこの6人が、参観日の帰りに顔を合わせる機会がありました。そこで、かの「人を噛んじゃった犬」の話がBさんから出ました。
私は近所の方から聞いていたのでこの事件に関してはすでに知っていましたが他の人は初耳のよう。
事件についての話が一段落したところで、私は学校に通学路の件を相談に行こうと考えている、と言いました。
するとBさんが
「(通学路のルート変更をするために)学校に相談に行くのはやめてほしい」
と言葉を発しました。そして重ねて
「それでも行くなら、私に一言いってからにして」
「この話は近所でも私(Bさん)しか知らないから」
とも言いました。
この発言に、私以外の人は皆、口をそろえて「言わないよー」と言います。
え?でも、通学路変えないと子どもは不要なリスクを負うんだよ?
私は喉まで出た言葉を何とかその場では呑み込みました。
でも、帰宅後、自分の想いと、Bさんの発言がぐるぐる、ぐるぐる頭を回りました。
だってBさんが言ってることって、つまり、誰かが通学ルート変更の相談を学校にして、通学路を変えちゃうと、
何であの子は通学路変えたの?→どうもあの家の犬が通行人噛んだらしいよ
という話が他の人に広まるかもしれないから、でしょう?
そしてもっと突き詰めると、その犬の所業が(事件を知らないはずの)他人に知られていると飼い主さんが知ったら……
誰がこのことを広めたのか、となり、その情報源がBさんだとバレたら困るから、だよね?
え?それって、Bさん、あなたの保身のため、だよね??
こんな沸々とした憤りを感じつつも、それでも一定期間、私はBさんのこの言葉によって学校へ通学路の相談に行く足が止まってしまいました。
「だけどもし、私がこんなことを悩んでいる間にまた犬が逃げ出し、子どもが噛まれたら?通学路の変更さえすれば、子どもがあの犬に噛まれるリスクは明らかに軽減するのに…」
「なんでBさんの立場を守るために、子ども自身が怪我をするかもしれないリスクを負う必要があるの?」
何より、自分が噛まれるならまだしも、もし「次」があった時、被害の当事者になるのは「子ども自身」。それは絶対いやだ。
そもそも私がこの話を最初に聞いたのは、Bさんからじゃないのに。
私はBさんを含め、あの場にいたママ友たち全員との関係を断ち切る覚悟で、学校へ相談に行きました。もちろん、学校に相談に行くことは、Bさんには告げず。
どうして言わないって、私の行動について、Bさんの許可を受けなければいけない理由は、何一つありませんから。
さらに、こうしたことを積み重ねればきっと他のことでも、Bさんの「言いなり」にならなければいけない、と直感を得たから、です。
やっぱりな、という結果
さて通学路の変更を相談しに行った私ですが、変更後の通学路を使用しても通学時間としては5分程度しか変わりません。
変更の理由は「私の仕事の都合」としました。ここでは「あの事件」のこともBさんの名前も、学校には何一つ伝えていません。
結果、私が思うよりすんなり、通学路は変更できました(もしかしたら学校側が事件について何か知っていたからかもしれませんが)。
しかし、やはりというか、娘が通学路を変更したことで、Bさんは激怒。
「なぜ自分に黙ってそんなこと(学校に相談)をするのか」
から始まった彼女の攻撃(口撃)は本当にすさまじいものでした。
が、そこで私は自分の感じていたことが正しかったと理解できました。彼女の言葉や行動は、全て「自分の保身」のためでしたから。
彼女はその後、彼女自身の思いを、いつも集まっていた人に広め根回しをしていきました。
彼女が「自分は悪くない、悪いのはお前だ」という内容を長く長く綴り、私に送ってきたことはもちろん、他のママ友たちは与り知らぬ話です。
Bさんに何も告げず学校に相談をしようと決意した時から、もうこの関係を続ける気のなかった私は、こうしたBさんの行動を見て彼女たちから明確に距離をとることにしました。
すると、その「距離を置いたこと」に対してもBさんは激怒。
彼女はまたもや「まるで巻物か」というような長いメールを何度も送ってきました。
その中の「LINEグループを抜けることで皆(グループにいた他の人)も巻き込むなんて信じられない」のくだりには正直吹き出してしまったのですが。
巻き込む?よく言うよ。自分のしたことを棚に上げてしっかり「自分(Bさん)は悪くない」と根回しをしたのは「他の人を巻き込む」ことにはならないのか、と。
この時彼女がくれた、あまりにもツッコミどころの多い、文章の主従関係も単語の遣い方も間違った感情任せのメール、赤ペンでも入れて返して差し上げようかと思ったこと、彼女は知らないでしょうね。
明日死ぬかもしれないのに
幼稚園からの付き合いの中で、自分でもしんどくなっていた部分を誤魔化して付き合ってきた「子どもが同級生」というだけの関係。
嫌な事ばかりがあったわけではないけど、でもやっぱり、自分が「あれ?」と思った違和感は信じるべき、とこの件で私はつくづく勉強しました。
明日死ぬかもしれない人生において、我慢したり、誰かの顔をうかがうなんてもうまっぴら。
これ以上、自分の人生にネガティブな雲を寄越してくる人と一緒にいることなど、私にはできません。
今、私には、子どもが同級生であろうとなかろうと、出逢えば友だちになれただろう人たちが、友だちでいてくれています。
思ってもないくせに褒めなきゃいけなかったり、相手の子を持ち上げるために自分の子をサゲだりしなくていい関係は、とても心地いいものです。
何より「ママであること」以外にもたくさんの話題がある、そんな友人たちとの会話は、刺激があって今の自分にはとても楽しいです。
人間関係だって、ダンシャリズムに乗れば、もっともっと洗練されてポジティブになっていきます。
私はその軽やかなリズムを、今、大きく感じる日々を生きています。
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