私に「(子どもが同級生ってだけの)ママ友」はいらない論

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この記事は

少なからず「ママ友」ってやつに何らかの違和感をもっているあなたに捧げる「私のママ友不要論」です。

断捨離したあの関係への「レクイエム」ともいえるかも。

ママ友にしんどさを抱えているなら

すっぱり断捨離しちゃいなよ、人生、変わるよ。

「選べない」人間関係って窮屈じゃない?

あなたは何か好きなものありますか?

私は、小学生のころから「日本史」が大好きでした。

これは漫画からはいったものですが、とにかく大好き。

だけど、自分の周りに日本史が好きなんていう子はほぼ皆無。

歴史好き=勉強好き

にカテゴライズされる世界では「自分の好き」を素直に表現するのは
なかなか難しかったですね。

「居合わせただけの関係」は、こういうところが、とても窮屈。

「同じ電車に乗り合わせただけの人」

現代においてずば抜けたリリック能力があるとされるミュージシャン

甲本ヒロト氏は言いました(これは学校に行きたくないという子に向けて
の言葉とされているものです)。

「友達なんていなくて当たり前なんだから。
友達じゃねぇよ、クラスメイトなんて。
たまたま同じ年に生まれた近所の奴が同じ部屋に集められただけじゃん。」

「趣味も違うのに友達になれるわけないじゃん。
山手線に乗ってて、『はい、この車両全員仲よく友達ね』って言われても、
『いや、偶然今一緒に乗ってるだけなんですけど』って。
友達じゃねぇよ。」

「ただ、友達じゃないけどさ、喧嘩せず自分が降りる駅まで
平和に乗ってられなきゃダメじゃない?

その訓練じゃないか、学校は。
友達でもない仲よしでもない好きでもない連中と
喧嘩しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。
だからいいよ、友達なんかいなくても。」

ま・さ・に、です。

学校だけじゃなくてね
私たちが暮らしている社会ってこれそのもの。

で、ママ友っていうことに限って言えば
「たまたま同じ年齢の子どもをもつ
近所の女性が同じとこに集められただけじゃん」
なわけよ。

私、その人たちと「子どもが同級生(でかつ同性)っていう共通項だけで仲良くなんてなれない。

でもね、「喧嘩せず自分が降りる駅まで
平和に乗ってなきゃ」もわかる。

でも、それだけでいいのよ。

自分を摩耗してまで、ただ乗り合わせた人に向けて
愛想を尽くす必要なんて、一切なし!

日曜日よりの使者の詩(うた)―甲本ヒロト全詞集

自分の世界は自分で選ぼう

私は地方の田舎生まれ、田舎育ち。

小中学校とも地元の学校にいった、
特段教育に力を入れられたわけでもない
「一般的な人間」です。

でも、そんな自分でも学んだんです。

自分で「自分の居る世界」を選べば、
自分自身が心地よくいられるってことに。

例えば高校。

正直、私は勉強が好きでした。

だから、高校は大学進学がしやすい学校を
選びました。

仲の良かった友人は、絵を描くのが好きで
デザイン科のある商業高校に進学しました。

お互い、とてもフィーリングは合いましたが
「周りにたくさんいて欲しい人の種類」
違ったんですね。

彼女は「絵について深め合える人」と多く触れたくて
私は「勉強することに前向きでいられる」人と触れ合いたかった。

この進路、お互いとても良かったんです。

今も折に触れて連絡はして、その度にお互い
「自分の知らない世界」に触れることは楽しい。

でも、自分自身がふだん身を置いているのは
「自分が心地よくいられる場所」

こういう「自分の心地よくいられる場所」の選び方を
私は中学から高校に進学する時に、しみじみ学んだはずだったのに。

こういう、人生で学んできた重要なことすら
取っ払ってくれるのが「子ども」の存在。

自分が心地よい
よりも
子どもが幸せでいてほしい

ここを重要視するあまり、私たちは忘れてしまうんです。

自分が笑って人生を過ごすことの重要さを。

あなたとその人には「子ども」しか共通項なくない?

私が関係を切ったママ友たちは
「子どもが同級生」という共通項以外、何にも心がシンクロするものが
ありませんでした。

夫への愚痴も
子どもへの接し方も
時間の遣い方も
仕事に対する考えも

全部、何もかも違いました。

多分、同じクラスにいるだけのクラスメイトだったら
「班が一緒になれば話すけど、仲良くはならない」
そういう関係だったと思います。

じゃあ何で「ママ友」になっちゃったのかって

それは「子どもに不利益はない?」
ってそこで二の足を踏んでしまったから。

当てはまりませんか?これ。

このママ友関係を切ったら、子どもに影響ないかな?って
心配しませんか?

自分のせいで子どもがツライ思いをしたらって
考えますよね……。

でも、大丈夫なんです。

子どもって、自分で自分の世界をしっかり作っていけますから。

誰かとの関係に悩んで、自分を抑えている親の優柔不断な姿を
見せ続ける方が、子どもの人間関係の勉強にはよくない
私は自分の経験から断言できます。

特に気を付けたいのは「第一子」の時

私には二人、子どもがいます。

それぞれ女の子と男の子ですが、性別は違っても
やはり「第二子」の時の心持ちって、第一子の時とは全く異なりました。

余裕、があるんです。何においても。

保護者との距離感も、子どものトラブルに対する
「一歩目」の出し方にも。

とにかくテンパっていた第一子の時とは全く違う世界です。

つまり、裏を返せば
「第一子の育児は悪手を踏みやすい」場合が
あるんです。

特に「ママ友関係」は。

私はどちらかといえば子ども達とはドライな関係を
維持していますが、第一子の時の同性の子の保護者は
「前のめり育児」の人が多かったですね。

「親同士の仲良さ」=「子ども同士の親密度」

になるってナチュラルに考えている人が多かったように思います。

んなわけねーじゃん。

私、親が仲良いから子まで仲良しになれるわけないって思っていたのになー……
全然、実践できなかった。

だからこそ、すごくしんどくなった。

親と子どもは全く別の人間。

私は別に自分の親の友だちの子どもと仲良くなんてありません。
むしろ、知らないし。

夫の友だちとみんな仲良くなれるわけでもありません。

子どもは仲良くても、自分は仲良くなれない子だっています。

もちろん、私の友だちだからって、子どもが「あの人と仲良し」となっている人も
いません。

人間関係は、誰も、誰しも、自分で選ぶんです。

そこに、親の影響があるとしたらそれは
「親が他人とどう関わっているか」
という姿勢を見せることだけだと思います。

おわりに

先の項の最後に

子どもの人間関係に、親の影響があるとしたらそれは
「親が他人とどう関わっているか」
という姿勢を見せることだけ。

と書きました。

ママ友との関わりをどうするかって
最終的に「どういう人間関係を子どもに見せたいか」
で考えると一番スッキリできると思います。

私は、子どもに
「自分が我慢し続けて、相手の顔色をうかがうような人間関係」を
継続している姿なんて見せたくなかった。

これを友人関係だと思ってほしくなかった。

ここに気づけたから、ママ友を断捨離できたんだと思います。

自分の要求が通らなかったら、相手の都合を考えずに
家に凸ってきてまでネガティブな感情をぶつけてくるような相手。

これを我慢する必要ある?って思ったから。

あなたの人生は、紛れもなく、あなたのためにあるんです。

どうか、誰かの顔色をうかがったり、誰かにあなたの大切な時間を
捧げないでください。

この記事をここまで読んだあなたはきっと、
あなたの心地よい世界を、自分で築いていける人だから!

ママ友がこわい 子どもが同学年という小さな絶望 (コミックエッセイ)

いったい何があったのかはこちらでwww

[ママ友不要論]ママ友ダンシャリズム|関係を断ち切るまで①

[ママ友不要論]ママ友ダンシャリズム|関係を断ち切るまで②

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