世界は、その足もとから広がっていく

新学期の始まる明日、学校に行くことに「怖さ」を感じている人がいたら、声を大にして言いたい。怖さを感じる場所には、一先ず行かなくていいよ、と。学校って、心に血を流してまで、行かなくてはいけない場所では、ないんだよ。特に、小学生や中学生のように、まだ自分の世界を選ぶことが難しい世代の人にとっては。

昨年の8月31日にも、新学期が始まるにあたっての記事を投稿した。今年も、新学期を迎えることが嬉しくない、そんな誰かに、少しでもこの声が届くと良いなと、記事を投稿したいと思う。

どこにとどまり、どこで心を休めよう

小学生や中学生という「義務教育」の期間にある人が、自分の意志で学校へ行くことを拒否するのって、とても勇気が要ることだと思う。ましてや、親などに心配をかけたくないとか、何か悩みがあることを知られたくない、と思う人は余計に、学校へ行くことが嫌だと、言いにくいかもしれない。でもね、生きていく時間の中で、本当に大切なのは、大事な10代の時間を、心を疲弊させて過ごすことでは、ないと思うんだ。

心が血を流す場所は「耐えるべき」場所なのか

大人の世界でも、仕事をするにあたって、勤務形態とか拘束時間や職場環境に関して「ブラック」と言われる環境がある。大人でも、異常な環境の中にいると、何が異常なのかわからなくなり、自分をすり減らして生きることがある。しかも、仕事をしなければ自分や家族を養えないとなると、その場から離れるのはとても難しかったりする。

けれど、大人は、なんとか、自分でその異常な環境から逃げ出すことも、自分の判断でできることがある(そんな時ばかりではないのだけど)。さらに、仕事を辞めてしまっても、失業手当だとか、色々な社会的サポートが受けられる場合もあり、社会が「ブラック企業から去る」ことを許してくれている状況がある。

でも、小中学生(もちろん高校生も)はどうだろう?学校選択制が存在しているとはいえ、地方ではまだまだ決められている学区の、決まっている学校に行くことがほとんど。しかも私立なども少なく、通っている学校に、自分を執拗に攻撃してくる人がいても、その環境から去ることは簡単ではない。

また、大人と違い、限られた範囲である「学区」がほとんどの生活エリアである小中学生。そこに自分を攻撃してくる人がいれば、四六時中、本当に心身が休まる時間はないかもしれない。で、あるならば、せめて、心がたくさんの血を流す学校くらい、行かなくてもいいのではないか、と思うのだ。だって、学校の勉強なんて、家でも、十分できるから。逆に、学校に行ってたって、勉強ができない人はできないのだ。学校でないと「集団での人間関係はできない」という説もある。確かにそうした一面が学校にあったとしても、人間は、誰かと繋がっている限り、社会の中にいるのだから、理不尽な攻撃に耐えてまで、その場にとどまり続ける必要はないと思う。そうして理不尽な暴力や言葉に耐えることに慣れて、身に付く力は、ブラック企業での理不尽に鈍感になる力くらいかもしれないのだから。

人生の時間は限られている

BUMP OF CHICKENモーターサイクルという曲の歌詞に「どうせ自動で最期は来るでしょう」という一文がある。あまりに心が疲弊すると、自分の一寸先が見えなくなって、生きていても……と思う瞬間はあるかもしれない。でも、先ほどの歌詞が言うように、自分の最期も、誰の最期も、本当に「どうせ自動で」来てしまうんだと思う。

明日、楽しみにしていることがあっても、本当に叶うかどうかは、明日のその時が来てみないとわからない。だから、自分で自分のいのちをどうこうしようと考えることに、長い時間を費やすのであれば、ボーっとするでも、寝るでも、漫画を読むでも、歌を唄うでもなんでもいいから、少しでも自分にとって「おいしい」時間を過ごしてほしいと思う。先に紹介した「モーターサイクル」の、続きの歌詞は、次のようになっている。
“その時を考えても意味がない/借りてきた答えしか出てこない”

あなたの人生も、私の人生も、その時間は限られていて、もし神様という存在がいるなら、私たちの終わりの瞬間を知っているのは、きっとその神様くらいなもんだろう。神様ではない、ただの人間である私たちには、終わりの瞬間は考えるだけ、時間がもったいないことかもしれない。うん、そんなことをしていたら、もったいないお化けが出そうだ。

「逃げている」んじゃなくて「選んでいる」んだよ

心が血を流すような場所に行きたくない、というのは、逃げているのではなく、あなたがもっと心地よい場所にいたいと、心が選んでいるんだ。だから、あなたがいるべき場所にいたいと、自分の環境を選ぶ行動に対しては、誰も、文句を言ったりできない。もしも周囲の大人にわかってもらえないなら、自分が通っている学校の環境は、大人のいうブラック企業と同じなのに、それでもそこで耐えろと言うのか?と聞いてみても良いかもしれない。

ただ、一つ聞いてもらいたいのは、あなたが、もし、今の学校環境で、心身をとても傷めているからと言って、地球上全ての環境がそうだとは言えない、ということだ。あなたの周囲の環境が、どうしてもあなたにとって居心地が良くなくても、世界には、どこかに、あなたが安心して呼吸ができる場所があるのだ。さらに、これは大切なことなのだけれど、そうした「自分にベストな場所」は、待っていても、やってくることはほぼ、ない。今の環境を断ち切るために、学校を休むとか、何か興味あることにまい進してみるとか、何かに対する一歩を、踏み出す必要は、あったりする。

ここで重要なのは、あなたにとって理不尽なことが起こっている学校を、休むということだって、あなたのこれまでを変えていく、大切な一歩、ということだ。もし、9月1日に休んだことで、世にいう「不登校」という状況になったら、その時間を目一杯使って、自分の本当にいるべき場所を探す旅に出てほしい。これは物理的な旅ではなくて、自分の行くべき道を探す、旅のこと。本当に好きなことを見つけるでもいいし、自分の知らない世界を見るために、たくさんの物を見て、吸収して、知見を広げるのだって素晴らしい。

逃げるというのは、学校を休むことではなくて、自分のことを伸ばす努力をしないことだと思う。努力はどこでもできるし、工夫をすれば、お金はなくたって、学ぶ環境は世界にそろっている。誰かが手を差し伸べてくれるのを待ち、手を差し伸べられなかったのを嘆くのならその前に、まず、自分が自分自身に、手を差し伸べてあげてほしい。

気を付けたい「安全」について

さて、これは具体的な話。9月1日に学校を休む際、最近はネット上でも「ここに逃げてきて!」と声をあげてくれている大人はいる。例えば公立図書館など。親に学校を休みたいということを言える環境の人ばかりではないかもしれないから、公立図書館などが、行き場ない小中学生を受け入れてくれれば、それはとてもありがたいことかもしれない。でも、子どもが平日に、自宅と学校以外の場所にいるというのは、危険も多いことは、知っておいてもらいたい。

特に繁華街の路地など、一見して人は多いけれど死角がある場所は、悪い大人が獲物を待っている場所だ。「自分は悪い大人くらい見分けはつくよ」と思う小中学生もいると思う。けれど、世の悪い大人は、一見して「悪い」とわかるような人はほとんどいない。獲物を捕らえるために、擬態をして獲物を待つ獣のように、悪い大人は、相手に「悪さ」が嗅ぎ取られない技術を体得して生きているから。

だから、できれば、学校を休む時は、あなたが安全にいられる場所で、過ごすことをお願いしたい

Why you gotta be so mean?と聞いてみる

学校と自分に距離を取ることを決めたら、今まで自分に攻撃をしてきた人について、少し冷静に見られる瞬間が出てくるかもしれない。腹が立つことや、仕返しをしたいという気持ちも、出てくるかもしれない。でも、攻撃をしてきた人について考える時間なんて、あなたの人生には1秒だって必要じゃない。理不尽な攻撃をしてくるような人間とは、関わらないに限る。だから、もし一人の時間を過ごす中で、色々と思い出したり、仕返しをしたいというような考えが頭をもたげてきたら「Why you gotta be so mean?」と呟いて鼻で笑ってやり過ごすと良いかもしれない。

これは、テイラースイフトの「MEAN」という曲に出てくる歌詞で、「なんであんたってそんなイヤなやつなの?」くらいの意味だ。テイラースイフトは自身も子どもの頃、いじめに遭っていて、その頃に味わった気持ちをこの曲に込めている。そんな実体験をもとにしたこの曲の中には次のような歌詞もある。
“Someday I’ll be living in a big ole city/And all you’re ever gonna be is mean
Someday I’ll be big enough so you can’t hit me/And all you’re ever gonna be is mean”

これを簡単に訳すと
「いつか私は、大都会に住んでみせるわ/きっとあなたはそのままの、イヤな奴のままよ
いつか私は、あなたには及びもつかない大物になるのよ/きっと(その時も)あなたはそのままの、イヤな奴のままよ」

くらいかと思う。人を理不尽に攻撃して平気な人は、あなたが何をしなくても、勝手に人生を転がってくれる。だから、あなたは、自分を引き上げ、伸ばすためだけに、時間を使うことをおすすめする。

「このみち」/金子みすゞ

今回の記事の最後に、金子みすゞさんの詩を紹介して、しめていこうと思う。

世界は、進む方向に広がっていく

ここで言う「世界」というのは、外国とかそういった国的な話ではなくて、自分の心が生きる世界のこと。あなたの心の世界は、あなたが進む方向に広がっていく世界だ。あなたが知識や経験をもって広げていく世界の中には、明るい場所もあれば、暑い場所も、寒い場所も、治安が悪い場所もあるだろう。そうした自分の中にある、色々な世界に出会った時、どうか、あなたには、あなた自身が安心して呼吸ができる場所を選んでほしいと思う。

今いる心の場所が、あなたにとって、安心して呼吸ができる場所でないなら、どうか、進行方向を変えて、広げる世界を良い方向へ変えていってほしい。

金子みすゞさんの詩をピックアップ

最後に、金子みすゞさんの詩「このみち」を引用させていただいて、今回の記事を終えようと思う。

“このみち

このみちのさきには、大きな森があろうよ。
ひとりぼっちの榎よ、このみちをゆこうよ。

このみちのさきには、大きな海があろうよ。
はす池のかえろよ、このみちをゆこうよ。

このみちのさきには、大きな都があろうよ。
さびしそうなかかしよ、このみちを行こうよ。

このみちのさきには、なにかなにかあろうよ。
みんなでみんなで行こうよ、このみちをゆこうよ。”

あなたにとっての「このみち」がどうか、見つかりますように。

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