娘の斜視についての治療記録 vol.1 娘誕生から専門医受診まで

2011年生まれの娘には、「斜視」があった。正確に言うと、今も少しあるのかもしれない。2017年3月に、娘は2度目の斜視の手術を受けた。5歳7か月のことだった。現在では、特に何事もなく幼稚園生活を送る娘。備忘録という意味合いも含めて、これから少しずつ、娘が受けた斜視手術や治療、そこにいたる道のり?などについて、ブログにアップしていこうと思う。


娘の誕生とちょっとした疑念

娘である真綿(仮名)が生まれたのは、2011年8月。妊娠経過は特に問題なく、出産も問題のない、初産の私には本当にありがたい妊娠・出産の状況だった。娘は、立ち会ってくださった助産師さんなどから、とってもしっかりした赤ちゃんだよ!と言われるくらい元気な子で、日々すくすくと大きくなった。

私は親元から離れた場所で暮らしており、産後、退院してからは、夫が時間を割けたこともあって、里帰りをせずに現在の居住地で育児をスタートさせた。短期間ではあったけれど、実母と義母が家事などのお世話に来てくれ、助けてもらったりもした。そんなこんなで、私の育児スタートは穏やかで、夫と子どもと3人、少しずつ家族のペースを作っていった。

娘の真綿は、体調やその他の部分(夜泣きや疳の虫など)で本当にトラブルの少ない赤ちゃんだった。だから、娘と二人きりの時間が多い私にとって、真綿は今振り返ればとってもありがたい性格の子どもだったと思う。周りのお母さん方が、赤ちゃんの夜泣きなどでしんどいという話を聞くと、なんだか申し訳ない気持ちになるくらい、娘は健康で穏やかな子だった。

もちろん、夜中の授乳は1時間~2時間おきにしていたし、いっぱいグズって私が精神的にしんどいことはたくさんあった。それでも、頻繁に風邪を引くとか大きな病気になるということもなく、ほぼ、母子手帳に書いてあるような発達状況で、娘は大きくなっていった。

ただ一つ「この子の目は、どうして少し外向きになるのかな~」という、薄ぼんやりとした疑問だけは、早いうちから自分の中にあったけれど。

視点がそろわない気がする……

私には3歳上の姉がいて、その姉の子(甥)と娘は同級生だ。甥っ子の方が数か月早く生まれたので、姉からは色々と「これから先の育児の情報」を教えてもらうことが多かった。例えば歯が生えてくる時の様子とか、離乳食が始まった時に便利なグッズなど。姉は地元にいたので、私は実家に行けば姉や姉の子とも会っていた。そしてそこでふと、思っていた。「甥っ子に比べて、真綿の目はやっぱり、ちょっと外に向いている気がする」と。

しかし、姉や、看護師である母に真綿の目のことについて話しても、「そんなに外に向いているかな?」と言われるのが常だった。乳幼児健診や予防接種などの機会に、かかりつけの小児科医に尋ねてみても「子どもの目は、目のパーツがまだ大きくなりきっていないから、斜視っぽく見えることもありますよ。もう少し様子をみましょう」と言われた。

「そうか……何だか真綿の目が外向きに見えるのは、私の考えすぎなのか……」当時の私は、周囲の「そんなに気にならないよ」の声によって、自分の疑念を振り払いたかったのかもしれない。でも、本当は、娘が4か月くらいの頃から、何となく、この子には斜視がある……と胸の奥では思っていた。

ついつい目を気にしてしまう私のクセ

私は昔から絵を描くことが好きで、中でも子どもの頃から「目」を描くのがとっても好きだった。これはリアルな目も、漫画チックな目も、両方だ。とにかく目を印象的に描くということが好きだったので、他人の目も無意識に観察することが多かったと思う。「あの人の目は素敵だな」とか「ああいう目を描けるようになりたいな」とか、日々そんなことを思いながら絵を描いていた。

高校生の頃には、アトリエで絵の勉強をさせてもらえる機会も持たせてもらい、そこで「パーツを取る」ということを学んだ。これによって、多分、私は、絵を描かない人より「体の部位」とか「パーツの位置関係」に敏感になったような気がしている。そしてこの「正確なパーツを取りたがる」クセが、娘の目の位置に敏感であったゆえんな気もする。

日々は何事もなく過ぎていく

さて、そんな私の気持ちには関係なく、真綿はすくすく成長。8か月の頃に卵アレルギーが発覚したり、10か月で突発性発疹があったりと、それなりに何だかんだあったけれど、心も体も、毎日のびやかに育っていた(と思いたい)。私は、日々のストレスなどはまぁ色々ありつつも、育児についての深刻な悩みはない、夫と娘との3人家族を、きっととてもありきたりな感じで、過ごしていた。

疑念が確信に変わっていった時期

そうこうして、真綿も大きくなり、1歳・1歳半・2歳……となると、少しずつ地域の育児イベントにも参加する機会が増え始めた。現住所は夫・私ともに地元でないため、知り合いがとても少ない。だから私はできるだけ、地元の幼稚園が開催している子育て支援サークル?や、社会事業系の子育てサークルに参加する機会を持つようにした。

すると、そこで同級生になる子ども達と知り合う機会も増えるわけで……。知り合った子たちの表情を見ていて、私の胸の奥にあった疑念は、ほぼ確信にかわっていった。娘が2歳になる頃には、私の中では「真綿には斜視が確実にある」という揺るぎない気持ちがあった。それでも、周囲の人に聞けば「そうかな?気が付かないよ」という感じだったけれど。

ここで、真綿の目について、真綿が3歳になるくらいまでの流れをまとめると

・4か月頃:目が外に向く?と何となく気づく
・6か月頃:普段は思わないけれど、名前を呼んで振り向いた時などに、目の位置が正面に来ない気がする……と思う。
・1歳頃:両目(この頃は特に右目)が上にズレることがあると確信する。
・2歳頃:両目ともに、上への斜視があることを生活の中で実感する。特に振り向いた時など、視点を急に変えるような場合に顕著だと感じる。
・3歳頃:私の中での疑念はほとんど確信になっていた。ただこの時は、特に強く感じた右目の斜視を気にしていた。

以上のような流れだったと思う。

斜視を確信する中でしていたこと

真綿が3歳を過ぎた頃「この子には確実に斜視があるけれど、斜視って治療とかどうするんだろ?」と私はインターネットや図書館での本、そして看護師の母に事情を聞いたりしながら、斜視の治療に関して調べ始めた。

しかし、漠然とした認識として、斜視の治療は矯正メガネや目の運動で治す、と何となく思っていて、そこまで大層な治療があるとは思っていなかった。こうした認識だった。このため、真綿の斜視に関して、実際に診断が下りた時、私自身がその後の治療について、とても大きな衝撃を受けたのは言うまでもない。

今思えば

今思えば、斜視かな、と思った時に眼科に連れて行けば良かったのかもしれない。でも、斜視の治療にメガネを使うと思い込んでいた私は、3歳の真綿がメガネをつけて、そのメガネのせいでけがをしたりということの方が怖くて、もう少し分別がついてから治療をしたい、とも思っていた。

3歳児健診で相談してみると……

こんな感じで斜視について、ぼちぼち調べながら、育児の日々は矢のように飛んで、真綿の3歳児健診がやってきた。私が住む自治体では、3歳ぴったりで健診をするわけではないので、正確にはもう少し月齢が過ぎていた。この3歳での健診は、発達のことや尿検査、視力検査などに加えて、小児科医への相談があった。そこで、私は真綿の斜視について担当医へ相談してみた。

この時の小児科医の先生は女性で、大変丁寧に真綿の目を診察してくださった。この先生にはこの時にしか出会っていないけれど、この後のことを考えると、本当に丁寧に診てくださって感謝している。直接お礼を言うことができていないので、この場を借りて、心から感謝の気持ちを表したい。

この時の診察で、真綿には斜視がある、ということが、医師の診断としてはっきりした。この診断に、私はショックというより、やっとはっきりした、という感情をもった。やはり真綿の目は、私の思い過ごしとか、気にしすぎとかではなく斜視だったんだ、と。そして、先生は、専門医でしっかり診てもらってくださいね、と小児専門の総合病院の眼科に、紹介状を書いてくださった。

そして、乳幼児健診から約ひと月後、真綿は県立の小児専門病院の眼科に、診察を受けに行くことになった。


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