一人称

日本語の一人称は、相手に合わせて変わっていくというのは昔から言われていること。

例えば子どもに対しては、自分のことを「私」ではなく「お母さん(ママ)」とか「お父さん(パパ)」と呼ぶように。

ただ、私自身は自分自身の一人称を私以外に変えることができなくて、自分の中でこの事に関してはとってもモヤモヤした。

私は自分のことを「お母さん」と呼ぶことに対して、なんでこんなに違和感があるのだろう、と。

周りには柔軟に対応できる人がたくさんいるのに、自分はなぜ、こんな小さなこと1つに柔軟になれないんだろう。

悩んでいないように見えて、実際には本気で悩んでいた。

でも、子どもたちは何の躊躇もなく、私のことを「おかあさん」と呼んでくれる。

そこで私は気づいた。

「子どもたちが『おかあさん』と呼んでくれるなら、自分は自分のことをお母さんと呼ぶ必要はないな」と。

私がお母さんであるのは、飽くまで自分の子どもに対してだけで、子ども達がそのことを認識してくれてさえいれば、別に私の一人称が「私」であろうと関係ないじゃん、と。

そして、一人称が私であることで、私自身は自分の意見を個の意見として明確にできるというメリットも得た。

私はきっと、自分自身をお母さんと呼ぶと、自分で発した言葉や意見が誰の意見であるのか曖昧になりそうなことに躊躇していたのだ。

これはもちろん、私個人の考え方や意見であって、世の中のお母さん達がそうであるとは微塵も思っていない。

私は私の生んだ2人の子どもにとって、間違いないくお母さんではあるけれど、どこにいても誰といてもどんな立場になったとしても根っことして変わらない「私」であることが変えられなかったのだ。

私くらい、自分のことをただの私と思う人間がいても、いいんじゃないかと、今は思う。


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